いろんなしましま 亀田縞くらし服


亀田縞 はぎあわせボーダーワンピース【紺無地/紺赤】
カメダジマ パクチープラス オンラインショップへ

「アジアの日本のくらし服」をテーマに、

野良着をルーツに持つ亀田縞で作るくらし服、

シンプルなのにどこかオリエンタルなワンピース、

異国の手しごと布とミクスチャーしたオリエンタルなふだん服を作っています。

 

縫い職人、刺繍職人による丁寧な手作業の仕事は美しく、

今の日本ではもう成立しないハンドメイドによる仕立てです。

彼らの美しい技術があってこそ素朴な亀田縞の素晴らしさが際立ちます。

 

離接のアトリエmoimoiで

実際に亀田縞の質感、縫製の美しさを手にしていただけます。

またセミオーダー・ホールセール・小ロットオリジナル製作を承っております

(要予約)


亀田縞 男女で着る羽織コート 【紺大柄】
亀田縞 一年中の重ね着ワンピース【黒無地/白グレー】

パクチープラスと亀田縞のこと

1990年代ベトナム旅行をきっかけに、欧州とアジアの交差する文化、

現地の人々の手先から生まれるソーイングや手刺繍の美しい仕事、

同時にアジアで生きていることを意識するようになりました。

 

雪国新潟と真逆の南国アジアの明るさやパワーに魅了され、

最初は南国オリエンタルを雪国新潟へ、をコンセプトに、今の日本では消えてしまった

美しい手仕事の縫い職人、刺繍職人の仕事を中心に衣料製作していると、

機屋中営機業さんの丈夫でシンプルで実用的な亀田縞に出会いました。

 

 

亀田縞とヨーロッパリネンをミクスチャーしたワンピースを一枚作ってみると、

シンプルな亀田縞が異国情緒と妙にマッチして新しい発見でした。

 

工房の縫い人たちも口々に

 

「この布が何かわからないがすごく縫いやすい」

「われわれの縫製を布が引き立てる感覚は初めてだ」

 

と不思議がりとても喜ぶので嬉しくなりました。

 

外から亀田縞のポテンシャルを認識し、異国と新潟の野良着をミックスし、

どこかしらオリエンタル香る「アジアの中の日本くらし服」がスタートしました。


What is KAMEDAJIMA 亀田縞って何?

亀田縞はかつて亀田郷に暮らす人々の過酷な農作業のくらしを支えた木綿布です。

1696年(元禄9年)頃に生まれ、明治から大正、昭和初期に栄えたあと戦後消滅し、

約50年の時を経て現代によみがえりました。

亀田製菓の本社がある「旧亀田町」のこの地域は、かつて「芦沼」と呼ばれた低湿地帯でした。

人々は巨大な沼地に腰まで水につかりながら米を作っていたため「地図に載らない湖」とも

呼ばれていました。

稲は水草のように浮いて十分な収穫を得られず、海が荒れれば海水が川を逆流し稲が腐って

しまう年もあり、特に収穫期は想像を絶する厳しさで、当時は今より稲刈り時期が遅かったため、

秋の長雨で水かさが増す中、凍てつく水の中にからだを沈めるようにして泥にまみれて農作業

していました。

このくらしを司馬遼太郎氏は書物の中で

「食料を得る労働としては世界でも類のない過酷なもの」と表現しています。

「亀田縞」は、この地域の農民たちが着ていた野良着です。

人々は綿花を育てて収穫し、紡いで織って藍に染めた作業着を作りました。

水や泥汚れに強くアブや蛭などの害虫から身を守る、丈夫な縦縞の綿織物です。

自分たちのために織った綿が評判となり、その品質が全国に広まって大正~昭和初期の

全盛期には600軒以上の関連業がある一大産業へと成長しました。

しかし戦時の指定生産を経て戦後に化学繊維が台頭するようになると繊維産業は衰退し、

300年の歴史を持つ亀田縞は、とうとう姿を消してしまいました。

旧亀田町の名所、諏訪神社を囲む寄贈石柱には檀家の名前と共に全国の布物関連企業の名が

たくさん刻まれ、今も織物産地として栄えた当時の文化を感じることができます。

 


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